2011 MotoGP最終戦 バレンシア

シモンチェリの訃報から、すっかり気分がどんよりしてしまい
最終戦が始まると言うのにテンションが上がらないまま
バレンシアGPが始まってしまった

金曜日の走行が始まっても、誰がトップで、タイムがどの位なのか
全く興味が持てない。
それでもレースはスタートするんだよね

ここで盛り上がっておかないと、来年までMotoGPは見られない

我が家では
友達3人が家に来て、みんなで最終戦を見る事にしたよ。


125ccは最後のレース
今年、台風の目になったザルコが最後まで
話題の中心に居たと思う。
追う形だったザルコが転倒し、テロルのチャンピオンが決定した

Moto2は高橋裕紀が2番手ポジションからスタートし
ホールショット
しばらく1位を走行するという
わくわく(ちょっとドキドキ)なシーンが続いたが・・・
激しいハイサイドでリタイアしてしまったよ。
(ちょっと心配になる転倒だったが、後でライダーOKのテロップが流れた)

チャンピオンはマルケスが怪我で欠場となったため
ブラドルに決定ブラドルは決勝で転倒したけどね。チャンピオンに決定した

高橋裕紀はランキング11位だった。

MotoGPクラスはチャンピオンが決定しているが
ホンダ勢の調子が良く、1-2-3フィニッシュを狙っている様子。

結局、1-2-3は実現できず・・・

スピースが凄い追い上げを見せて、退屈な展開になりつつあったレースを
盛り上げてくれた。
そしてそのまま2勝目か~~
って時に、最終ラップの最終コーナーで逆転劇があり
スピースは2位になってしまった唖然

その時の様子を電子制御との噂を小耳に挟んだのだけど
ネタ元が見つからなかった
実際のところ、スピースのマシンに何かしらの電子制御が効いたのかは
分からないけど・・・

このレースで、カピロッシがGPから引退した。
私がレースを見始めた頃からカピロッシは走っていた
すごいレースキャリアだよ。

鈴鹿で日本GPを観戦していた時に
カピロッシがデグナーでハイサイドを起こした。
250ccクラスでトップ争い中だったと思う。
転ばずに、ゴールしたんだよね。
あのレースは日本人も活躍したので、すごく良く覚えている。
その時のライバルはもう引退しているんだよね。

MotoGPクラスになってから
日本GPもてぎでは、何度ポールポジションを獲得したんだろう
予選のラスト数分でカピロッシのゼッケンが
ぽーんと1番上に表示されるのがお決まりになっていると思うくらいだった。

最後のレースではシモンチェリのゼッケン58を付けて走った。
GP参戦300戦目では300のゼッケンを付けていた。
長くGP界で活躍してきたカピロッシだからこそ許された
ゼッケン変更じゃないかな。
特別な意味があったとしても
レース中に数字を変えるって聞いたことないよ。
長く付けてきた65ではなく58でレースを終えたんだね
シモンチェリと共に。

カピロッシと言えば忘れられない事件がある
250ccクラス時代は原田の憎きライバルで
1998年にチャンピオン争いしていた最終戦
ブエノスアイレスでは、大事件が起こった。
もう原田は許していると思うけどあれは大事件

原田ファンがいつまでも語り継いでいって欲しい。

あれは、原田ファンにしか語り継げないと思うからw

お疲れ様でした。カピロッシ

また来年ね。MotoGP

コメント

  1. スウ より:

    いやほんとに
    オツカレさまなんですが
    ・・・
    僕は原田さんのファンなのですよw

  2. かろ より:

    >スウさん
    長いキャリア
    本当にお疲れ様でした。ですね{キラリ}
    あの年、チャンピオンはカピロッシだけど
    {旗}日本人としては(?)原田もチャンピオンだったんだぜ{グッド}
    的な気持ちがどこかにあるんですよ{カエル}
    だけど、記憶に残っている世代はいいけど
    記録に残っていないと、風化してしまいそうで{汗}
    それを語り継いで欲しいと思うのでした{ルンルン}